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2007.10/05 (Fri)

秋の夜長は…

比国在住のM氏から…
中々面白い論文を紹介していただきました(^^ゞ

皆さんがPPで遊んできた中で…
見聞きした話を再整理するのには良いと思います。

日本側の視点だけで書いておらず…
比国の文献や聞き取りなどを行い書いています。

非常に読み応えもありますのでね
秋の夜長に是非どうぞ(^_-)-☆…

PCの人は原文を見ることも可能です。

卒業論文
日本におけるフィリピン人エンターテイナーの現状と課題

氏名:田島真一
専攻分野:日本文化論
指導教官:宇野田尚哉

はじめに

第1章「エンターテイナー」とは―フィリピン政府出稼ぎ奨励政策との関連で―
1-1 フィリピン人出稼ぎ労働者の歴史的推移―アメリカ統治開始以降―
1-2 来日フィリピン人エンターテイナーの歴史―日比人的交流の歴史を中心に―
1-3 80年代以降のフィリピン人エンターテイナーの推移

第2章 日本で働くフィリピン人エンターテイナーの現状
   ―フィリピンにおける聞き取り調査を通して―
2-1 フィリピン人エンターテイナーの日本就労システム
2-2 フィリピンにおけるエンターテイナー聞き取り調査
 2-2-1 エンターテイナーの社会的属性
 2-2-2 日本での就労状況
 2-2-3 帰国後の状況

第3章 日本政府の「人身取引対策行動計画」
   ―岐路に立つフィリピン人エンターテイナー―
3-1「人身取引対策行動計画」とは
3-2「人身取引対策行動計画」をめぐるそれぞれの思惑
3-3「人身取引行動計画」施行後の状況とこれからの展望

おわりに


尚、今回は論議を目的としてアップしたものではありません。
紹介という形をとっております!
コメントは読んだ感想を頂きたいなと思っており、それに対するレスは極力控えさせていただきます<(_ _)>
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編集 |  14:58 |  Novel  | TB(0) | CM(5) | Top↑

1999.10/05 (Tue)

はじめに

はじめに

04年6月から、05年2月末にかけて、フィリピン、アテネオ・デ・マニラ大学で交換留学生として学んでいた時、大学の学生食堂で働いていた男性が「自分は毎年半年間、エンターテイナーとして日本で働いている」と教えてくれた。エンターテイナーについて、まったく知識を持っていなかったのだが、彼らフィリピン人にとって、日本が出稼ぎの地であると知り、とても驚いた。

首都マニラにある海外雇用庁には、海外出稼ぎを希望する多くの労働者たちが、毎日群をなして窓口に並ぶ。その中でもひときわ目を引くのが、厚い化粧をして、茶色い髪をなびかせる若い女性たちである。彼女たちは、その多くが日本行きを目指す「エンターテイナー」と呼ばれる人たちである。彼女たちは主に、「興行ビザ」を利用して日本に入国し、半年間日本で働くことになる。法務省統計によると、03年日本政府が外国人に対して発給した「興行ビザ」の総数は13万3103件、そのうちフィリピン人に対してのものが8万48件と、全体の6割を占める。同年、フィリピン人の新規入国者総数が13万1834人であるから、フィリピン人エンターテイナー入国者数の多さが際立っていることがわかる。もちろんその中には男性エンターテイナーも入国しているが、実は少数で、そのほとんどが女性である。彼女たちの多くは、いわゆる「ジャパゆきさん」としてフィリピンパブで働いているのだ。

エンターテイナーが多く海外で働くという事情には、フィリピンの家庭における女性の役割という文化的要素もあるが、海外出稼ぎに頼らざるを得ないフィリピンの政治・経済的な要因が大きく投影されており、高失業率対策と外貨獲得のため、フィリピン政府が海外出稼ぎ労働者(OFW;Overseas Foreign Workers)の派遣を国策として奨励していることがさらに後押ししている。今日全世界で約800万人ものフィリピン人が海外出稼ぎ労働者として働き、国内総生産(GDP)の約1割、80億ドル以上の外貨を本国へ送金している。フィリピンが“モノではなくヒトを売る国”と言われる由縁もそこにある。エンターテイナーもこのOFWの中に分類され、フィリピン政府の海外出稼ぎ労働者派遣政策の中でも重要な役割を占めている。国民所得の低いフィリピンにあって、彼女たちは自分を、そして家族を養うため、フィリピンから遠く離れた日本でエンターテイナーとして働くのである。

フィリピン国内において、日本行きエンターテイナーの人気は極めて高い。数ある海外出稼ぎ職種の中でも、経済大国日本で働き、かつ給料の高い日本行きエンターテイナーという職種は、誰もがなれるというわけではなく、エンターテイナーというアーティストになるための厳しいトレーニングに加え、日本国内での熾烈な状況に耐え抜いた者だけが成功を手にする、いわば“ジャパン・ドリーム”の世界である。

フィリピン国内には1,000を超えるエンターテイナー養成所(プロモーション)があり、エンターテイナーは、日本で働く日を夢見て日夜ダンスや歌の練習に励む。そして彼女たちが手にするジャパンマネーは、本人だけでなく、プロモーション関係者、服飾関係者や、旅行関係者等を含めて、幅広くいきわたり、日比両国の各業界を広く潤している。つまり、ここではエンターテイナーと、それを取り巻く人々で、一つの大きな利益構造を作り上げているのである。

一見すると華やかに見える“ジャパン・ドリーム”の世界は、一方で二国間の経済格差を露骨に示す数多くの問題も孕んでいる。80年代、日本ではいわゆるバブル経済を迎え、急速な円高もともなって、外国人が働くナイトクラブが増加し、日本に入国するエンターテイナーの数は、大きく増加した。急激な需要増大は、日本のヤクザ組織も絡んだ違法リクルーティングの増大を引き起こし、エンターテイナーの質も低下させた。91年、福島県のナイトクラブで働いていたMaricris Siosonの死について、当時虐待の疑いがあったのにも関わらず日本側は肝炎による自然死と判断を下したが、その検死結果をめぐり日比両国政府をも巻き込む政治問題にまで発展した。その後も現在に至るまで、エンターテイナーの入国者数は増加傾向にあるが、彼女たちが人権侵害、特に性的搾取にさらされているという危険性は、かねてから指摘されている。

04年、アメリカ国務省の人身売買報告書において日本が監視対象国に指定されたこともあり、日本政府はあわてて「人身取引対策行動計画」を策定した。これは外国人、特に女性労働者が人身取引の危険にさらされているという指摘や、「そもそも10万人もの数のエンターテイナーはおかしい」という基本的な疑問から、その入国を厳格化し、同時に不法就労対策を強化していこうというものであるが、一方ではそれが外国人エンターテイナーの突発的で大幅な量的削減につながり、外国人労働者排除の動きだと受け止められている。特にフィリピン側からは、日本に入国する外国人エンターテイナーの6割がフィリピン人であるという現状から、大きな戸惑いと反発が起こっている。

本研究では、研究対象を日本とフィリピンに絞り、フィリピンでの文献・資料による調査はもちろん、エンターテイナーや、現地のタレントプロモーション、そしてフィリピン政府関連省庁等を含めた幅広い聞き取り調査を行い、日本側からだけのワンサイドな視点ではなく、日比両国の視点からこの問題の本質はどこにあるのか、またこれからの方向性や課題について、考察していく。


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1999.10/05 (Tue)

1-1

第1章「エンターテイナー」とは 
―フィリピン政府出稼ぎ奨励政策との関連で―

1-1 フィリピン人出稼ぎ労働者の歴史的推移
―アメリカ統治開始以降―

 近代以降、フィリピンの歴史において、移民(migration[1])は、欠くことのできないキーワードである。フィリピン人が移民と深い関わりをもってきた要因について、日比関係に詳しいLydia N. Yu Joseは、3つに分けて説明している[2]。1つ目はアメリカ植民地時代に形成された民主主義システムや個人の自由の概念、2つ目はアメリカ本土やハワイ等への移民者たちの成功モデル、そして最後の3つ目は、アメリカ植民地時代以降急速に高まったフィリピン人の英語能力である。つまり、フィリピン人の移民とは、かつての統治国アメリカと密接に結びついていることがわかる。そこで、アメリカによるフィリピン統治が開始された1898年以降、フィリピン人移民の歴史のなかで海外出稼ぎ労働者が置かれてきた状況の推移をおさえていきたい。

フィリピン人のmigrationにおける3つの波

 フィリピンの労働者問題、とくに女性の人権問題に詳しいAurora Javate De Diosによると、1900年代以降、フィリピン人のmigrationには、大きく分けて3つの波がある[3]。

1つ目の波は、1903年に開始されたハワイやカリフォルニアでのプランテーション労働者の時代の波である。統治国フィリピンの国民は、貴重な労働力として、アメリカのプランテーション農場等に送られた。この波は1930年代まで続く。

2つ目の波は、1945年から60年代後半にかけて、医師や看護士のアメリカやカナダへのpermanent migration(永久的移住)である。両国は、海外からの移民に対して、寛容で積極的な政策をとっていて、比較的賃金も高い両国に、多くのフィリピン人が移住した。

そして最後の3つ目の波が、1974年のマルコス政権下に始まった労働者海外派遣である。当時、フィリピン国内は、石油危機による厳しい雇用難や通貨危機に陥っており、最初はその対応のため政府主導の短期的戦略として始まった。戒厳令の下、それは同政権の強力な推進力もあって積極的に進められていった。これが現在に至るフィリピン政府の“Overseas Employment Program[4]”である。

“Overseas Employment Program”の特徴

この“Overseas Employment Program”の大きな特徴は、労働者海外派遣に対する政府の積極的で戦略的な管理体制である。フィリピン政府は、関連政府機関を通して海外出稼ぎ労働をサポートすると同時に、労働者がそこで得た収入の一部を国に送金することを規定している。もちろん、この送金は税金ではないので国に納める必要はないが、外貨で得た収入の一定程度を、それもかなり高い割合で、そのまま本国に送金させることにより、政府の一括した外貨管理を可能にするのである。当時のマルコス大統領は、1983年に執行令857[5]を制定し、船員の80%を最高に、全出稼ぎ労働者の給与の50%以上を本国に送金することを義務づけた。これに反した者には、パスポートの延長や再発行を認めない等の罰則が課せられることになっている。本研究の中心テーマであるエンターテイナーに配布されているガイドラインのなかには、この送金規定も盛り込まれており、送金は「国や家族への愛情を示すこと」であると記述されている[6]。

また、出稼ぎ先の国や職業は、政府によって管理されている。現在は政府のPOEA[7](Philippine Overseas Employment Administration)が所轄官庁であり、世界の情勢やニーズに応じて、出稼ぎ労働者を海外へ派遣している。政府が直轄的に管理するこの出稼ぎ労働者は、OFW(Overseas Filipino Worker)と呼ばれている。一般的に、OFWの就労はPOEAを通した、労働者と相手国の雇用者との契約による短期的なものであり、Contract Workerと呼ばれる場合もある。

Overseas Employment Programの推移

Overseas Employment Programが始まった1974年、約3万人のContract Workerが中東へ派遣された[8]。当時、中東産油国では空前の好景気を背景にConstruction(建設)ブームが起こっており、建設関係の労働者の不足が、フィリピン人労働者の大量受け入れを加速させた。この70年代から80年代にかけて、合計数10万人のContract Workerが中東へ渡った。1980年に派遣された海外出稼ぎ労働者のうち、この建設関係に従事する者が全体の64.4%を占めた[9]。

中東のConstruction(建設) ブームが一段落した80年代後半、フィリピン国外では、サービス産業の需要が増大した。1987年に派遣された海外労働者のうち、このサービス産業に従事する者が33.7%を占め、建設関係の33.2%を上回った[10]。このことは、この時期の大きな特徴である女性OCW(Overseas Contract Worker)の増加とも大きく密接している。女性OCWを大きく3つに分けると、Domestic Helpers(家政婦)、Entertainers(エンターテイナー)、そしてNurses and Professionals(看護士及び専門職労働者)である。1975年、全OCWの12%に過ぎなかった女性OCWは、1987年に全体の47%を占めるようになり、1985年には全体の半数を超えた[11]。

これは、国外の労働者需要の変化にともない、建設関係頼みの出稼ぎ労働者派遣から、サービス産業やその他幅の広い職種への出稼ぎ労働者派遣へと、フィリピン政府が海外の労働市場の変化にいち早く対応した結果であるといえよう。

この時期の女性OCW増加の最大要因としては、欧米先進国やアジア諸国における、3D産業[12]従事労働者の不足が挙げられる。とくにシンガポールや香港、台湾といったフィリピン周辺のアジア諸国・地域では、急激な経済成長を背景に、増加した富裕層が家事労働を労働力の安い外国人家政婦に任せるといった状況が増えた。フィリピン人は英語ができることもあり、特に重宝された。

近年のフィリピン国内の動きとしては、看護士(Nurse)や介護士(Care Giver)の人気の上昇がある。Domestic WorkerやEntertainerなど、性的搾取の危険性が高く体力的・精神的プレッシャーのかかる職種に比べ、多くがアメリカやカナダなどで就労する看護士や介護士は、専門性のある職種であり、給料が比較的保証されるからである[13]。アメリカやカナダなどの地域を中心に、英語が通じ、人件費も安く抑えられるフィリピン人看護士及び看護士の需要は、年々高まる傾向にある。

フィリピン政府によって認定された国内の介護士専門学校の数は、2002年の時点で102校であった。しかしその数は2005年5月時点で841校に達し、わずか3年間で同校は8倍以上に急増した[14]。2004年、日本とのFTA交渉では、日本国内へのフィリピン人看護士受け入れが認められる方向性が示され、これからますます人気が高まっていくことが予想される。

また、近年日本をはじめ海外の高齢者がフィリピンに移り住み、コミュニティを作り生活する例も増えており、フィリピン人介護士が関わる介護ビジネスが浸透していく可能性もある。しかし、フィリピン国内で医師や弁護士であった人たちが海外向けの看護士や介護士になるケースも多く、フィリピン国内では、専門職の労働者が海外に転出することによるBrain Drain(頭脳流出)の危険性が指摘されている。

ここで、現在OFWが派遣されている地域に関して、POEAが発表している派遣人数の統計を見ると[15]、2003年におけるOFW(陸上労働者[16])の国・地域別派遣先は、全体の651,938人のうち、中東地域が285,564人と地域別最大規模である。とくにサウジアラビアへが169,011人と際立っている。中東地区では、建設関係の仕事が特に多く、ここでは現在でも依然としてこの中東地域における建設関係の需要が高いことを表している。

2004年、イラクで建設関係の仕事に従事していたフィリピン人がテロリストに拉致され、人質解放を条件に、アロヨ大統領がイラクに駐在する軍を撤退させたことは記憶に新しい。これは拉致されたフィリピン人だけの問題ではなく、中東に100万人以上いると言われるフィリピン人出稼ぎ労働者の安全や、フィリピンの外交や経済にも関わる重大な事態であったのである。

一方、中東地域に続いてOFW派遣数が多いのはアジア地域である。その数は254,520人であり、中東地域に並ぶ大きな数である。その中では香港が84,633人、日本が62,539人の順で、OFWの派遣者数が多い[17]。そしてアジア地域では上述のDomestic WorkerやEntertainerの需要が高い。そして、このOFW派遣者数は2003年、世界全体で中東地域とアジア地域で8割以上を占めている。

ここまでは、アメリカ統治開始以降現在に至るフィリピン人海外出稼ぎ労働者の歴史について簡単にまとめてきた。次の節では、フィリピン人海外出稼ぎ労働者のなかでも、本研究の主題であるエンターテイナーについて、その歴史的推移と現状について述べていきたい。

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1999.10/05 (Tue)

1-2

1-2 来日フィリピン人エンターテイナーの歴史[18]
  ―日比人的交流の歴史を中心に―

フィリピンでは、アメリカ統治の影響から、ロックやポップスをはじめとして、さまざまなジャンルのバンドミュージックが発達している。マニラ市内を歩けば、多くのライブハウスが存在することはもちろん、生演奏を聞かせてくれるレストランが数多くある。現代に至るフィリピンのエンターテイメントの歴史は、このバンドマンたちを中心にしたライブ・エンターテイメントに始まったのである。

フィリピン式エンターテイメントのはじまり

ライブ・エンターテイメントの輸出、すなわちエンターテイナーたちの海外での活躍は、フィリピンにおけるマンパワーの輸出が顕著になるずっと前から始まっていた。そのタレントや多芸さ、そして独特の陽気さをもったフィリピン人エンターテイナーは、とくにアジアの周辺国で人気を博してきた。フィリピンのバンドマンやプロシンガーたちが、中国が成立する以前に、上海のナイトクラブで活躍していたとする資料もある[19]。

そして、その数が増加したのは60年代、ベトナム戦争の時代である。サイゴンや、その他ベトナム国内の主要都市における米軍基地に、フィリピン人エンターテイナーたちは、大きなマーケットを見つけた[20]。そして70年代半ばから80年代以降にかけて、このエンターテイメントの輸出は大きな成長をみる。そのなかでも彼らのおもな受け入れ先となったのが、日本であった。そこで、次に日本とフィリピンの労働者交流の歴史的推移についてまとめていきたい。

日比労働者交流の歴史

 フィリピンから来日する女性エンターテイナーは、俗に「じゃぱゆきさん」[21]と呼ばれている。これはかつて日本から東南アジアに送られた売春婦が「唐ゆきさん」と呼ばれたことに由来する俗称である。このことは、彼女たちが芸能のエンターテイナーではなく、いわゆる“水商売”に従事し、時には春をひさぐ可能性のあることを示している。

 フィリピンの資料によると、日本の経済状況がまだ悪かった1900年代初頭、フィリピンに駐留していたアメリカ軍基地周辺で、日本人女性がホステスや娼婦として働いていたという記録がある。それによると1903年には280人が確認され、1907年から1919年にかけて、その数は確認されているだけでも毎年最小123人、最大で432人を数えるときがあったとされている[22]。

これらの「唐ゆきさん」に加え、戦前・戦時中にかけて男女問わず多くの日本人がフィリピンに出稼ぎに赴いている。特に土木関係には多くの日本人労働者が従事した。当時、スペインやアメリカの統治を経て、西側諸国の影響を大きく受けていたフィリピンは、アジアの中で政治・経済的に他国をリードする高い水準にあり、日本からも多くの労働者が流入したのである。

1941年、フィリピンから日本への送金額は、日本円にして1,166,086円にも上り、他のアジア諸外国からの送金額を圧倒している[23]。労働者の中には、ルソン島北部のバギオ地域やミンダナオ島のダバオ地域等へ定住する者も多く、各地に日本人町が作られた。

このように、かつて日本とフィリピンの人的交流は、日本からフィリピンへという一方的なものであった。戦後になっても、その傾向は変わらず、1972年になるまで、日本における外国人登録者数に関して、フィリピン人は常に1,000人を超えない水準で推移している[24]。

 上述の数は少し説明が必要である。実は戦後、沖縄には多くのフィリピン人労働者が流入しているのである。それは沖縄を統治したアメリカ政府の主導によるものであった。英語が話せるフィリピン人は、とくに重宝され、下級労働者だけではなく、科学者や医師、そしてコンピュータの専門家として沖縄の米軍基地等に招かれたのである。1958年、本州にいたフィリピン人の数は365人だけだったにも関わらず、沖縄には997人のフィリピン人がいたという記録がある[25]。

エンターテイナー日本入国の歴史

60年代から70年代にかけて、日本は米軍の横田基地周辺などを中心に、全国でディスコブームが起こっていた。生のソウルミュージックとともに酒を提供する店が全国に次々と作られていく。まだ日本にバンドが少なかった時代に、当時アメリカの影響を大きく受けたフィリピン人のバンドマンたちが多く日本にやってきて、基地周辺や温泉地でジャズやロックなどを演奏した。フィリピン人エンターテイナー日本入国の歴史は、こうしたバンドマンたちから始まったのである。したがって、戦後からこの時代までは、日本に入国するフィリピン人エンターテイナーは、男性が大半であった。

 一方、同じ70年代に流行していたのは、日本人が社員旅行でアジアの国々に行き、集団で買春をする、いわゆる「セックスツアー」であった。当時の観光産業は東南アジアに3S(SEX,SUN,SEA)を求めたと言われている[26]。フィリピンも例外ではなくその対象国とされており、75年には192,169人、79年253,717人(フィリピンを訪れる全旅行者の25.84%)もの日本人観光客が入国した[27]。当然ながらそのほとんどは男性であった。最盛期にはマニラに27軒ものジャパンクラブ、つまり日本人専門の置屋が軒を連ね、1軒の置屋が90~150人もの女をかかえていたという[28]。国内外の旅行業界と現地の売春産業がタイアップして売り出したこのセックスツアーは、同時にアジア諸国の大きな反発も引き起こした。81年、当時の鈴木首相アジア諸国訪問の際には、各地で反対運動が巻き起こった。

 そして70年代後半から80年代以降、上述のセックスツアーに対する逆流現象のように、今度はフィリピン女性たちが多く日本にやってくるようになる。彼女たちを「じゃぱゆきさん」と呼ぶことからもわかるように、エンターテイナーとして来日した彼女たちの多くは、実質的にいわゆる“水商売”の接客係として働いていたのである。この時期から日本ではディスコや大衆キャバレーに代わり、「クラブ」と呼ばれる、より高級志向の店が多くできはじめ、それに合わせて外国人ホステスも多く入国し始める。その典型の1つが“フィリピンパブ”であり、フィリピン人エンターテイナーによるダンスや歌などのショーとともにお酒を飲むスタイルの店が多く作られていったのである。ここに「じゃぱゆきさん」が大量に輸入される基礎が作られたのである。またそれは、バンドマンの時代からホステスの時代へと転換するターニングポイントであったとも言える。次節では、80年代以降、現代にいたる、この女性フィリピン人エンターテイナーの推移を述べていきたい。

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編集 |  14:37 |  Novel  | TB(0) | CM(0) | Top↑

1999.10/05 (Tue)

1-3

1-3 80年代以降の来日フィリピン人女性エンターテイナーの推移

興行ビザで来日するエンターテイナー 

「じゃぱゆきさん」が日本に入国して就労する方法はおもに3つある。「短期滞在」、「日本人配偶者」、そして「興行ビザ」である。80年代初頭以降、来日する外国人エンターテイナーが次第に増加するにつれ、外国人エンターテイナーは、おもにこの「興行ビザ」を使って入国するようになる。興行ビザとは、外国人の演奏者や歌手、ダンサーらが日本で興行を行う場合に必要となるもので、プロスポーツ選手もその対象となるものである。これによって、フィリピン人女性たちは、おもに6ヶ月を単位に店で歌やダンスなどのショーを興行する「芸能人」として来日するかたちに変化していったのである。また、彼女たちはフィリピンにおいて政府機関が認定する芸能人資格証明書[29]を持ち、まさに日比両国から資格を証明された芸能人として入国したのである。POEA(フィリピン海外雇用庁)が設立された1982年以降、この女性エンターテイナーは、フィリピン政府が送り出す海外出稼ぎ労働者(OFW)の中で重要な位置を占めるようになり、より組織的かつ集団的に送り出されるようになった。

エンターテイナー養成のしくみ

 「芸能人」の資格を持って日本にやって来るフィリピン人エンターテイナーたちは、フィリピン国内のタレントプロモーションに所属している。これはPOEAに認可されたエンターテイナーの公式養成所であり、日本のエンターテイナー招聘業者[30]との仲介業者でもある。フィリピン国内における芸能人資格証明書取得に必要な技能等審査に合格するため、彼女たちはここで半年以上にわたり、歌や踊りの訓練を受ける。日本渡航までの講習費用や生活費その他の渡航前費用をプロモーションが立て替える制度があり、プロモーションに住み込みで訓練を受ける者もいる。そして彼女たちの日本行きが決まれば、プロモーションは日本の招聘業者から仲介料として手数料を取り、利益を得る仕組みになっている。したがって、最終的にエンターテイナーは、日本に渡航して就労するための多額の仲介料を、日比のプロモーションに対して支払わなければならないのである。日本の需要高を背景に、こうしたタレントプロモーションは増え続け、現在フィリピン国内では1,000を超えている。プロモーションによる違法リクルーティング[31]を防止するため、違法なプロモーションに対してはその認可を取り消すことが可能である。ただ、なかには政府や関連機関との強いパイプを持つプロモーションもあり、エンターテイナーの養成や芸能人資格証明書やビザの発行手続き等が、つねに合法的に行われているかは疑問であるという話も聞く。

80年代、エンターテイナーの“大量輸入”の時代へ

 日本の法務省の「出入国管理統計年報」によると、興行ビザで日本に新規入国したフィリピン人エンターテイナーの数は、1980年の8,505人を皮切りに毎年順調に増え続け、1986年には26,029人、1991年には56,851人に達した[32]。特に80年代後半の増加の伸びは著しく、1985年から1991年にかけて、フィリピン人全体の日本入国者数も65,529人から125,329人に急増した[33]。この80年代の急激な増加の背景にはいくつかの要因がある。「クラブ」という女性が接客する店の増加や、急速な円高の進行、そしてバブル景気などがそのおもなものである。この80年代において、今のフィリピン人エンターテイナーの“大量輸入”という状況ができあがったのである。

あるフィリピン人エンターテイナーの死

90年代に入り、この女性エンターテイナー大量輸入の状況下で、大きな事件が起きる。それは、福島県の“フィリピンパブ”で働いていたフィリピン人エンターテイナーMaricris Siosonの死である。日本の当局は、彼女の体に虐待の痕跡があるにも関わらず肝炎による自然死と診断したが、その死因をめぐりフィリピン当局と見解が対立し、同国の関係閣僚が真相究明のため訪日するなど外交問題に発展した。かねてから出稼ぎ労働者、とくに女性労働者については、海外における搾取や虐待の危険性が指摘されていた。このSiosonの事件もその典型例であると考えたフィリピン政府は、フィリピン人エンターテイナーを守るため、エンターテイナーの国外派遣に際して、DOLE Circular 01-91[34]を施行。日本向けエンターテイナーに対して、渡航可能最低年齢を引き上げるとともに、芸能人資格証明書[35]の取得を義務付け、「興行」の資格による渡航のみを許可するという方針に切り替えた。また日本の招聘業者に対しても、業者の峻別のための事前審査・登録制度の導入等を行った。

Migrant Workers and Overseas Filipinos Act / Republic Act No.8042

 フィリピン人出稼ぎ労働者が、世界で人身売買や不当就労等の被害にあうケースが増え、労働者の権利保護を訴える国内外の強い声に応えて、1995年共和国法第8042が制定された。これを通称“Migrant Workers and Overseas Filipinos Act”と呼ぶ。そこでは出稼ぎ労働者の苦しみを招く違法リクルーティングを防止するため、フィリピン政府は出稼ぎ労働者の権利保護の方針を強く打ち出し、違法リクルーティングを行った者への処罰の強化等を定めた。

 また、翌96年には、政府によるPhilippine Passport Act[36]が施行され、横行していたパスポートの偽造に対しても政府が本腰を入れて対策を講じたのである。

ARB制度

1995年、フィリピン政府はエンターテイナーの質的向上やトラブル防止を目的にして新芸能人資格証明書ARB(Artist Record Book)導入した。これは以前からあった芸能人資格制度を改定し、その審査を厳格化したものである。ところが受験者には当初、日本の歴史や日本人の心理などを学ぶ一般教養や日本語などの学科試験を課すなど、「理念」が先行し、また受験資格可能年齢も引き上げられたため、合格者は激減し、それまで順調な伸びを見せていたフィリピン人エンターテイナーの新規入国者は、94年の53,704人から、95年の24,022人、翌96年の18,905人にまで激減した[37]。この2年間は、日本の入国管理局が“フィリピンパブ”の全国一斉調査を行い、ホステス行為や同伴[38]といった資格外活動の横行が明らかになり、入国審査制度の改正と厳格化が図られた年でもあった。

 97年以降は、入国者数が再び増加に転じ、さらなる円高の進行や“芸能人雇用15人枠[39]”の撤廃、そして飲食税の撤廃なども後押しして、2003年には、フィリピン人エンターテイナーの新規入国者が初めて8万人を超えた。

 しかし2003年、それまでARBの発行に責任を持っていたTESDA[40]と、エンターテイナーを養成し、日本に“輸出”するタレントプロモーション等の民間業界関係者が癒着して、資格証の不正受給が行われていたことが発覚した。TESDAは、ARBの取得に必要な技能等審査を免除する代わりに、ARBを高額な値段で業界関係者を介しエンターテイナーに販売していたのであった。芸能人資格証明書の偽造は、「芸能人」としての資質低下を招くだけではなく、エンターテイナーたちが、フィリピン政府を介さない私的なルートで日本に送られることになり、結果として“いかがわしい”店で就労させられ、人身売買等にさらされる危険性が高まるのである。

ARBからAACへ

 そこで2004年より、新資格証AAC(Artist Accreditation Card)が発行されるようになり、所轄官庁もTESDAからPOEAに移された。同時に、資格証の有効期限が10年に延長され、指紋や本人写真等の個人情報は、オンライン上に登録されるようになり、偽造の防止が徹底されるようになった。また、エンターテイナーが、外国での就労先未確定の場合は、資格証を発行しないことも定められ、一連の資格証制度は透明性のある厳格なものとなった。

 フィリピン国内の資格認定制度については、ARBが発行されるようになる以前にもさまざまな芸能人資格証明書が発行されてきたが、不正発行や偽造等、政府関連機関と民間業者が癒着した不正が相次ぎ、問題が発覚するたびにフィリピン政府は、資格証の改定や発行責任官庁の変更などの粛正を繰り返してきたのである。

世界における人身取引撲滅運動の高まり

人身取引“Trafficking”は、現在、世界において重大な問題である。人身取引を目的とした国際的な組織犯罪の増加を背景に、各国が連携して人身取引撲滅に取り組む必要性が叫ばれている。

フィリピン政府は、2003年に人身売買禁止法(共和国法9208)を制定した。これは売春や性的搾取、強制労働に従事させる目的で就労あっせんすることや、人身売買を促進する行為を禁止するものであり、違反者には厳しい罰則が課されることになっている。

日本政府は、国連で採択された「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人、特に女性及び児童の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書」(以下「人身取引議定書」という)に2002年末に署名している。                

また2004年、アメリカ国務省の「第4回人身売買報告書」において、日本が、分類2(完全に基準を満たしているわけではないが、基準を満たすように努力をしている国)の中の監視対象国に挙げられた。同報告の後、日本政府の人身売買対策は急速なピッチで進められ、2004年末に「人身取引対策行動計画」が策定され、2005年4月より施行されている。

 以下、第2章では、フィリピン人エンターテイナーが働く現状について、日比両国での聞き取り調査を中心にまとめ、それをふまえて、第3章では、いま触れた「人身取引対策行動計画」をめぐる諸問題について考えていくこととしたい。

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1999.10/05 (Tue)

2-1

第2章 日本で働くフィリピン人エンターテイナーの現状
―フィリピンにおける聞き取り調査を通して―

 本章では、フィリピン人エンターテイナーの個々人について、それぞれの経歴や日本での就労状況等についてプロファイルするために行った聞き取り調査の結果を中心に論じていく。

2-1 フィリピン人エンターテイナーの日本就労システム[41]

 現在、フィリピン人エンターテイナーと呼ばれるフィリピン人タレントの多くは、興行ビザで来日する。興行ビザの概要については、前章で既に触れてあるが、このビザの有効期限は半年であるから、日本で半年働いてフィリピンに帰国するというパターンが通例である。彼女たちは、言葉も文化も違う日本で、フィリピンで待つ家族のために働くのである。まず本章の理解のために、フィリピン人エンターテイナーの就労システムにおいてキーワードとなる具体的な用語や制度に説明を加えておく。

リクルーティング

 リクルーティングとは、いわゆるエンターテイナーを養成し、海外に送り出す一連の過程を指す。すなわちここでのリクルーティングとは、とくにエンターテイナー養成に責任を持つフィリピンの民間業者が行うものである。

興行ビザで入国するエンターテイナーの雇用契約は、日本とフィリピンのタレントプロモーション[42]によって結ばれている。したがって、通常エンターテイナーは、フィリピンにおいてタレントプロモーションに所属することが、日本行きへの第一歩となる。もちろん日本側の業者が直接フィリピンでリクルーティングを行うケースもあるが、これが最もポピュラーで正式なリクルーティングルートである。フィリピン側プロモーションを介したリクルーティングは、次のように進められる。

 まずエンターテイナー個人とプロモーションとの最初のコンタクトには、プロモーション側、エンターテイナー側それぞれからのアプローチがある。エンターテイナー側からのアプローチには、個人で直接プロモーションに出向く場合もあれば、知人や兄弟等の紹介という場合もある。調査の中では、父親がプロモーションを経営しているから、というケースもあった。

 プロモーションへの所属が決まれば、そこからエンターテイナーになるためのトレーニングが始まる。前章にも述べたが、興行ビザ取得に必要なPOEA発行の芸能人資格証明書取得のためには、通常半年以上のプロモーションでの訓練が必要とされている。歌やダンス、またプロモーションによっては日本の文化や言葉についての学科講義も開講されている。

ブッキング

 通例、フィリピンのプロモーション等において、定期的に日本のプロモーションによる「オーディション」が行われ、そこで選ばれたエンターテイナーと日本のプロモーションの間で契約が交わされ、日本での就労先が決定する。これを日本のプロモーションによる「ブッキング」という。日本の「人身取引対策行動計画」が施行される以前、フィリピン政府は2004年に旧資格証ARBに代わる新資格証AAC制度を施行した。新資格証AACのもとでは、人身売買等につながる違法リクルーティングを防止するため、外国での就労先が決まっていないエンターテイナーに対する資格証の発行が認められなくなり、申請に際して、就労先の当該国における「ブッキング」が必須条件となった。

雇用契約

雇用契約は、上述の通り通常日本とフィリピンのプロモーション間で交わされるものである。したがってエンターテイナーの就労先となる出演店へは、日本側のプロモーションから派遣されるというかたちを取る。つまり各エンターテイナーの雇用契約には、日比プロモーション間の契約に加え、日本側プロモーションと出演店側との契約が存在するのである。

 各出演店が日本のタレントプロモーションに支払う額は、エンターテイナー1人当たり月額約30万円である。日本のプロモーションは、そこからエンターテイナーの給与やフィリピン側プロモーションへのコミッションを支払うことになっている。興行ビザの規定では、エンターテイナーへの給料に関して「受け入れ先から月額20万円以上支払いがあること[43]」が定められており、法律上エンターテイナーは月額20万円以上の給料を受け取ることになっている。

資格外活動

 エンターテイナーの在留資格は「興行」であり、歌やダンスショー等の芸能活動を行う名目で来日している。したがって、客にお酒を出すといった接客行為や、店の掃除や皿洗い、ましてや売春行為をすることは、違法な「資格外活動」として処罰の対象となる。ただ、実際は多くの店でこれが守られていないのが現状である。入国管理局は1995年から1996年にかけて全国で大規模な“フィリピンパブ”の実態調査を行い、横行する資格外活動の実態から、入国審査の厳格化を行った。その結果この2年間でフィリピン人エンターテイナーの新規入国者数は激減した。しかし97年以降現在にかけて再びその数は増加に転じ、資格外活動の取り締まりに関して、業界側と行政側の“いたちごっこ”が続いてきた。その証拠に、日本政府の「人身取引行動計画」発表前にも一斉調査が行われ、外国人エンターテイナーの資格外活動の横行が再び浮き彫りになっている。

 国内外からの高まる批判に対し、業界内においても自浄策が検討されてきた。2004年、日比の業界団体同士の会合では、①「同伴」制度の廃止②接客行為の禁止徹底③フライングブッキング[44]の禁止徹底④違法滞在の防止などを申し合わせた[45]。

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1999.10/05 (Tue)

2-2

2-2 フィリピンにおけるエンターテイナー聞き取り調査

 これまで、エンターテイナーの実態を知るための聞き取り調査は何度か行われている。1994年、フィリピン・デラサール大学のTrinidad S. Osteriaが、東京で働く155人のエンターテイナーを対象として質問紙調査を行った[46]。ここでは、それぞれエンターテイナーを取り巻く状況を、経済的、社会的視点から、①Basic Socio-economic Information②Pre-Departure Situation③Working Situation in Japan④Post-Migration Perspectiveの4つのフェーズに分けて考察している。

また1998年には、DAWN[47]とアサンプション大学社会科学研究所が、エンターテイナーの海外就労の社会的影響を解明する研究を行った[48]。この研究は、日本で働くエンターテイナーの家族125組と、日本から帰国した労働者141人を対象としたもので、質問紙調査とグループ・ディスカッションによるものである。ここでは、女性たちがエンターテイナーとして働くことにより味わうストレスや恐怖心を、仕事からの経済的報酬によって相対的に和らげていることが明らかになった[49]。

そして2002年から2003年にかけて、DAWNがマニラと東京にて「日本で働くフィリピン人女性エンターテイナー-出発前から再統合までの課題」と題した調査を行った[50]。この調査は、120人のエンターテイナーを対象としたもので、1998年の調査と同様に、質問紙調査とグループ・ディスカッションによるものであり、日本で働くフィリピン人エンターテイナーを取り巻く法的、社会的、経済的問題を明らかにすることを目的としている[51]。この報告においては、数名のエンターテイナーのケーススタディも報告されているが、それは「いかにエンターテイナーたちが日本で搾取されているか」ということに重点が置かれており、エンターテイナーたちは、家族のために日本で搾取の危険性と隣り合わせで働く“被害者”であるとされている。

これまでの先行研究には、“人身売買の被害者”としてフィリピン人エンターテイナーを扱うものが多い。とくにケーススタディにおいては「いかに日本で搾取されているか」ということに重点が置かれており、エンターテイナーたちは、搾取の危険性と隣り合わせで働く“被害者”であるとされがちである。

たしかにフィリピン人エンターテイナーについては、人身売買や搾取の問題と切り離して考えることはできない。しかし一方、“ドラマアクトレス”として、客の日本人を巧みに操るしたたかさも持ち合わせており、福沢諭は、その著書『ザ・フィリピンパブ』[52]の中で、遠く離れた日本で働くフィリピン人エンターテイナーのたくましさを綴っている。調査の過程で出会ったエンターテイナーたちも、“人身売買の被害者”としてのネガティブなイメージよりはむしろ、遠く異国の地でしたたかに生きる“一家の大黒柱”的な存在感をもつ女性が少なくなかった。

 筆者は、日比両国からの複合的な視点からこの問題の本質を探り、本当の課題はどこにあるのかを考察するため、2004年末から2005年初頭にかけて、日本渡航経験のあるフィリピン人エンターテイナーに直接聞き取り調査を行った。またフィリピンのPOEAの担当者や民間業界関係者、そしてマニラの日本大使館、日本の入国管理局の担当者、民間業界関係者等にも聞き取りを行ったが、本節ではまずこのエンターテイナーへの聞き取り調査を中心に論じていきたい。まず調査の方法と結果を述べていく。

調査対象とその方法

 調査対象者は、21歳から33歳までの、日本渡航経験があり、日本への出国を目前に控えたフィリピン人女性エンターテイナーである。有効回答数は23で、エンターテイナーとしての来日経験回数は1回から15回であった。調査を行った場所は、フィリピン、マニラのタレントプロモーションや出国前オリエンテーション[53]を行っていたNGOである。

 また、フィリピンの通貨ペソで回答を得たものについては、必要に応じて1ペソ2円のレート(2004年12月時点のもの)で円に換算した。

結果と考察

 調査の結果と考察については、エンターテイナーそれぞれについて、①個人の社会的属性②日本での労働状況③フィリピン帰国後の生活、の3つの時間軸に沿って3項に分けてそれぞれ論じていきたい。この調査における詳細な結果については、49‐54頁の【エンターテイナー聞き取り調査結果】を参照されたい。


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1999.10/05 (Tue)

2-2-1

2-2-1 エンターテイナーの社会的属性

結果

・回答者23人のうち、1人を除き他の22人は未婚であった。
・回答者の学歴[54]は、小学校卒業が1人、高校卒業が17人、大学卒業が5人であった。高校卒業の回答者には、大学中退者も含まれている。
・子供の有無、両親の有無と就労状況、学歴に関しては、それぞれ次の表のとおりである。

【表イ:子供の有無とその数】
【表イ:子供の有無とその数】

【表ロ:両親の有無と就労状況】

【表ロ:両親の有無と就労状況】

【表ハ:両親の学歴】
【表ハ:両親の学歴】
・両親の収入については、1家庭あたりの月収が平均12,000円であった。
・兄弟/姉妹の数については、回答者本人を除いた平均が4.26人で、兄弟/姉妹を持たない者はなく、最大10人の兄弟/姉妹を持つ者がいた。合計98人の兄弟/姉妹の就労状況は次の表のとおりである。

【表ニ:兄弟/姉妹の就労状況】
【表ニ:兄弟/姉妹の就労状況】
・日本渡航前の状況に関しては、仕事をしていた者が12人で、無職が11人であった。

考察 

まず当然であると言えるが、回答者家族の社会的階層が低いことがわかった。2003年におけるフィリピン家庭の平均月収は、日本円にして約3万円程度であるのに対し[55]、回答者の両親の月収平均は約12,000円にすぎない。また、両親や本人の学歴についても決して高いとは言えない。そして日本へ出稼ぎに行くことを決めた理由に関して、皆が家族の財政的問題であると答えたことから、家族内の財政問題が、日本行きの決定要因であることがわかる。財政問題の原因は単純ではないが、主として兄弟/姉妹や子供の学費、そして両親をはじめとした家族の病気の治療費を挙げる者が多かった。

 回答者の家族構成を見ると、片親率の高さと親や兄弟/姉妹の就業率の低さが際立つ[56]。つまり、エンターテイナーが一家の大黒柱として親や兄弟/姉妹を支えるために海外出稼ぎをせざるをえないという状況があるのである。

これにはフィリピンの経済事情や、家族中心主義という伝統が作用していると考えられる。経済事情については、まず国内における失業率の高さが際立つ。03年フィリピン国内の失業率は11.4%であり[57]、潜在的な失業率はさらに高いと言われている。さらにフィリピン国内の1日の法定最低賃金は現在325ペソ(約650円)[58]であるが、ここ数年は国内が常にインフレ傾向[59]にあり、その法定賃金は実態にそぐわないと言われ、とくに社会的階層の低い国民の生活はますます逼迫してきている。

家族に関しては、まず回答者の半数が5人以上の兄弟/姉妹を持つと回答しているいわゆる“子だくさん”家族である。回答者の家族における平均兄弟/姉妹数は4.26人であり、フィリピンの合計特殊出生率である3.23[60]を上回っている。そしてフィリピン国内では幼児死亡率の高さや公衆衛生の遅れから、平均寿命が60歳程度と言われ、壮年期に病に倒れる人も多い。回答者の中にも親を病気で亡くしたり、現在親が病気療養中であるといったケースが多く見受けられた。またフィリピンでは伝統的に、両親もしくは一番上の兄弟/姉妹が子供や兄弟/姉妹の経済的な援助を行うことが義務とされ、成人しても職のある兄弟/姉妹を頼って大家族で生活することが多い。そして女性の家庭内に占める役割も大きい。さらにフィリピンの家族においては、MDS(Migrant Dependency Syndrome)と呼ばれる海外出稼ぎ労働者への“依存現象”がある。それは家族内の誰かが海外出稼ぎに行くと、他の家族が仕事を辞めたりしてその人に経済的に大きく依存してしまうという、フィリピンの出稼ぎ労働者家族全体に見られる“楽をしたい”現象である。

 こうして、フィリピン人エンターテイナーたちは、自分の家族の生活や、子供や兄弟の就学費用を稼ぐため、日本に出稼ぎに行くのである。そして多くの家族が1人の出稼ぎ労働者に依存するこのような状況下では、エンターテイナーがフィリピンに帰国して収入がなくなった後、家族のために再び出稼ぎに行かなくてはならないというスパイラルに陥るケースが多くなるのである。

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1999.10/05 (Tue)

2-2-2

2-2-2 日本での労働状況

日比の労働条件規定 
日本での労働状況を述べる前に、まずここでエンターテイナーの労働条件を定めた日比の規定を示しておく。

 日本側の規定では、前節で述べたとおり興行ビザ発給の条件として「受け入れ先から月額20万円以上の支払いがあること」が定められている。

またフィリピン側においては、POEAのMemorandum Circular[61]によって、日本行きエンターテイナーに関する雇用規定が細かく定められている[62]。ここでの主な規定は以下の通りである。
・ 日本の関連法律に基づく適切な賃金が、毎月雇用者からエンターテイナーに直接支払われること。
・ エンターテイナーの住居費と食事は雇用者の負担とすること。食事に関しては、日額1000円以上の食費に代えることができる。
・ 労働時間は1日最高6時間まで。規定時間を超える残業については日本において適切な額の残業手当を支給すること。
・ 休暇は1ヶ月最低4日とすること。


結果

 回答者の日本渡航回数は1回~15回であり、日本への初めての渡航年は、1990年から2003年と幅広い。給与制度は、半年間変わらない毎月の固定給に加え、飲み物や指名、同伴等からのバックが歩合給として店から支給される。さらに店の客からチップがもらえることもある。

 固定給に関しては、毎月かつ直接エンターテイナーに対して支払うことがPOEAによって規定されている[63]。しかし、毎月直接給料を受け取っていた回答者は1人に過ぎず、残りの者は皆、渡航費用等を差し引かれた5ヶ月分の給与を、帰国時に空港で一括して受け取っていた。

 初回の基本給の額に関しては、$300から$1,500と大きな開きがあるが、ほとんどの回答者の初回固定給は$400から$500程度であり、渡航回数が増える度に$100から$200の幅で増額していくことがわかった。

 歩合給に関しては、店の給与システムの違いによって支給額が異なるという回答がほとんどであったが、日本渡航経験が6回の、ある回答者によると2004年福島県のあるクラブで、基本給が$1,130、歩合給については、客の指名1件につき¥500、ドリンクバックが1杯につき¥200~¥300、3時間単位の同伴1回につき¥1,500となっている。同伴と指名についてはノルマがあり、同伴が1週間に2回以上なければ¥3,000、指名が1週間に10回以上なければ¥5,000のペナルティがそれぞれ課せられるシステムになっていた。

 それぞれが働く店により多少の違いはあるが、多くの店では、この店のようなシステムで歩合給が設定されている。指名や同伴等を一括したポイント制を採用している店もあり、一定のポイントを基準にボーナスやペナルティを設定している店もあった。

 同伴の有無に関しては、店のシステムによるところが大きく、回答者半数以上の15人に同伴経験があった。同伴制度のある店でも、ファーストタイマー[64]は同伴が免除されるという店もあった。

 勤務時間については7.5時間~10時間で、残業代は全員支払われていなかった。

 1ヶ月の休暇については、4日とした者は4人、3日が1人、2日が15人、1日が2人だった。欠勤や同伴なし等に対するペナルティが重なり、休みが一切ないという回答者も1人いた。

 契約書に書かれた額どおりの給料をもらえていた人は7人で、全体の約3割にとどまっていた。ただ、もらえていたと答えた回答者の労働条件をつぶさに見てみると、規定上の雇用規定が100%守られていたケースはなかった。7人という結果に関しては、回答者の雇用契約に対する理解不足なのか、自らの意思に反してそう答えたのか、ここで明確に判断することはできない。

 食費については、全員が規定の1日1,000円を下回っていた。月15,000円という者もいた。

 住居については、全員が他のエンターテイナーと共同生活を送っていて、2人から15人という人数で1つの住居を共有していた。

 送金については、全員が毎月平均¥10,000~¥120,000をフィリピンに送金していた。

客と性的関係を持ったという回答者は、全体の約9%の2人にとどまった。クラブオーナーの指示により自らの意思に反して、という者も1人いた。

 すべての回答者が日本を好きと答えたが、自分の子供に同じように日本に行くことを勧めますか、という質問にYesと答えた者は2人であった。 

考察

 まず前提として、この聞き取り調査がマニラでも規模の大きいプロモーションや、NGO等で行われたため、調査対象者はすべて正式なリクルーティングルートに乗ったエンターテイナーである。

それにも関わらず、第一に言えるのは日比の労働条件規定がただの紙切れにしかすぎないという現状である。調査の回答が正しいとすれば、日本側のすべてのプロモーションと出演店が、基本給、食費、労働時間、労働日数等の労働規定に違反していることになる。また逃亡を防ぐためか、全員がパスポートを入国時に取り上げられ、帰国時に基本給とともに返却されるという。そして「指名」や「同伴」をはじめ客へのホステス行為等、エンターテイナーが行っているのはすべて「資格外活動」にあたる行為である。日比の審査を通過し、「芸能人」として来日したエンターテイナーが、日本人ホステスと何ら変わらない、むしろそれ以下の状態で働かされているという現状が、あらためて明らかになった。

また回答者の雇用契約に対する理解が低く、雇う者と雇われる者、しかもそれが経済的に立場の弱いフィリピン人という、強者弱者の論理に基づく雇用関係が存在し、不当な扱いにもそれに従わなければならないという現状が浮き彫りになった。事実多くのエンターテイナーが不当な労働条件に対して、「クラブシステムだから」「クビにならないためには従うしかない」と言うのである。

低賃金の原因の1つには、エンターテイナーに関わる人々のいわゆる“ピンハネ”の多さがある。各エンターテイナーに関係する人は、プロダクション関係者をはじめ、服飾関係者、旅行関係者等多業種にわたっており、とくにリクルーティング過程において過剰な人の関わりがあるのである。

たとえばマネージャーの存在である。これは通常、フィリピンのプロダクションからエンターテイナー個人に割り与えられるものであるが、彼らに対するコミッションは調査によると月額平均約2~3万円にも上っており、すべてエンターテイナーの給料から差し引かれている。したがって実情を理解したエンターテイナーのなかには、まったく不要な人の関わりを排除するためフリーランサー[65]を目指す者も多い。自らの“営業”活動により、すこしでも他人の“ピンハネ”を減らそうと努力するのである。

聞き取り調査を通して、悪い労働条件のもとで働かされている現実の厳しさを知ると同時に、フィリピン人エンターテイナーたちの前向きでたくましい姿が感じられたのは救いでもあった。上述のフリーランサーを目指すエンターテイナーの努力もそうであるが、不当に低い基本給や厳しい労働条件に目をつぶり、指名取りやチップ集めといった歩合給稼ぎに精を出し、本国で待つ家族のために、懸命にそしてしたたかに働くという姿勢に、彼女たちの力強さを感じさせられた。

売春とのつながりについては、先述のOsteriaやDAWNの調査ほど顕著なものではなかった。それは今回の調査対象者のリクルーティングルートが合法的であったことが効力を発していたのかもしれない。ただこれは答えにくい質問項目であり、あるいは正直に答えられる状況になかったということも考えられ、この結果を全面的に信用することはできないとも言える。

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1999.10/05 (Tue)

2-2-3

2-2-3 帰国後の状況

結果

回答者全員が、日本出稼ぎ前と比べて、帰国後家族の生活が改善したと答えた。
日本で得た出稼ぎ報酬の使途については、回答者23人から合計75件の回答を得た。詳細は次の表のとおりである(いずれも複数回答あり)。

【表ニ:出稼ぎ報酬の使途(いずれも複数回答あり)】
【表ニ:出稼ぎ報酬の使途(いずれも複数回答あり)】

立ち上げたビジネスの内容については、“サリサリストア”[66]が2件、氷屋が1件であった。ビジネス立ち上げの計画を持つ者は多く、その事業内容は“サリサリストア”が5件、アパート経営が3件、レストランが3件、米屋が2件、金融業が2件、肉屋が1件であった。

回答者全体の約3割にあたる7人が、日本への出稼ぎを始めてから両親のいずれかが仕事を辞めたと答えた。

貯金額は、1人当たりの最高額が60万円(2人)で、貯金なしという者も8人いて、全回答者の平均額は約11万6000円であった。

考察

まず、日本での出稼ぎ労働によって、エンターテイナーたちやその家族の生活が多かれ少なかれ向上していると言える。ただ、出稼ぎ報酬の使途からは、出稼ぎ労働者に家族が依存してしまうというMDS(出稼ぎ労働者依存現象)と、回答者家族の貯蓄率の低さが見受けられる。

回答者家族の約3割においていずれかの両親が出稼ぎ後に仕事を辞めたという結果や、教育費について子供はもちろん兄弟までもが1人の出稼ぎ労働者に依存するという事実から、フィリピンのMDSの特異性があらためて確認できた。

貯蓄率の低さの要因については、このMDSに加えて、フィリピン独特の消費文化もその要因として考えられる。お金を貯めずに、買えるものをすぐに買うのがフィリピン式であり、「日本で自分が体験した贅沢な暮らしを家族とも共有したい」という気持ちが、エンターテイナー及び家族の物品購買意欲をさらにかきたてるのだと考える。フィリピン人エンターテイナーの問題に詳しいBallescasは、家族のための土産品や電化製品を腕いっぱいに携えて帰国するエンターテイナーの様子を象徴的に描写している[67]。

またフィリピン人は家族の幸せを第一に考える“家族中心主義”である。したがって、とくに海外出稼ぎ労働者にとって家を買うことは1つの大きな夢であるようである。家とはすなわちその家族が一同に住まう場所であり、家族全員の幸せにつながるものだからである。日本で得たお金で新しい家を建ててそこで贅沢に暮らすことは、家族やその共同体において1つのステータスでもある。Ballescasによれば、家族や周囲の人間は、富を得て帰国したエンターテイナーをPanalo(勝利者)として尊敬と羨望の眼差しを向けるという[68]。ただ、そのエンターテイナーがフィリピンでは考えられないほどの大きなお金を手にフィリピンに帰国し、「フィリピン人としての」生活感覚が麻痺したまま自分や家族のためにお金を使い果たしてしまい、再び日本へ出稼ぎに行かねばならない状況をみずから作り出すことも往々にしてあるのである。

このことは、半数以上の回答者の貯金額が出国直前という状況において5万円以下であるという調査結果からも明らかである。

調査の結果から判明したとおり、このMDSや貯蓄率の低さ等の理由によって、ビジネス立ち上げに至っているのは全回答者のうちわずかに3人である。しかもその3人のビジネス計画の内容についても、“サリサリストア”や氷屋にすぎない。ビジネス計画のある他の回答者についても、その事業内容は小規模で利益率の低いものばかりであり、しかもそれぞれ似通ったものが多い。原因としては、初期投資額の低さと、回答者のビジネス感覚のなさ等であろう。

これはエンターテイナーに限られたことではないが、帰国後の出稼ぎ労働者たちが海外で得た報酬を資本金にビジネスを創出することに対して、政府やその他による何らかのサポートが少ない。例えばファンドのようなものを設けて個人ではなく集団で1つの大きなビジネスを創出することを可能にすれば、資本の少ない者でもそこに参加することができるかもしれない。

以上、この章ではフィリピン・マニラで行ったエンターテイナーへの聞き取り調査を中心に、彼女たちが実際に働き、生きている日比国内の状況について論じてきたが、ここで少し視点を変え、次の第3章では、日本政府の「人身取引対策行動計画」をめぐる諸問題について考えていくこととしたい。

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1999.10/05 (Tue)

3-1

第3章 日本政府の「人身取引対策行動計画」
  ―岐路に立つフィリピン人エンターテイナー―

 本章では、2005年に施行された日本政府の「人身取引対策行動計画」を主とした日本政府の人身取引への取り組みと、とくに同行動計画が、フィリピン人エンターテイナーに与える影響、そしてこれから彼女たちが直面する課題や、これからの展望について論じていく。

3-1「人身取引対策行動計画」とは[69]

 第1章で触れたとおり、今日、人身取引は世界における重大な問題であり、各国がその撲滅に向けての行動を模索中である。

 法務省入国管理局によると、日本政府が行う人身取引防止のための取り組みは、大きく分けて、「予防」(Prevention)、「保護」(Protection)、「訴追」(Prosecution)の3つのフェーズに分けられる。具体的には、「予防」;出入国審査の厳格化・空港直行通過区域の監視・大使館等との連携、「保護」;帰国希望者に対する迅速かつ円滑な帰国協力・被害者に対する原則在留特別許可、「訴追」;不法就労助長事案に対する積極的取り組み、である。これらの取り組みをより積極的・効果的に行うためには、関連する法律や制度との連携が欠かせない。

2004年末成立した「出入国管理および難民認定法の一部を改正する法律」では、外国人の不法入国や不法就労に対しての罰則が強化され、その外国人が再び来日することを拒否する上陸拒否期間が延長された。また同時に、「出国命令制度」が新設され、自ら入国管理官署に出頭した不法残留外国人については、いくつかの条件はあるが、出国後の日本上陸拒否期間を1年とするなど、この法律は硬軟織り交ぜた内容となっている。つまり同法は「予防」と「訴追」に重点を置き、「出入国管理の強化」を狙ったものであるといえる。

一方、今回の「人身取引対策行動計画」では、自らの意思に反して売春や資格外活動に従事させられていた外国人を退去強制等の対象から外し、在留特別許可を与えるなど、従来の入管法にはなかった、人身取引被害者の「保護」という概念を法律で明文化したことが大きな特徴である[70]。

では、なぜこの人身取引被害者保護を明文化した「人身取引対策行動計画」が、一部新聞紙上[71]で「出入国審査の厳格化による外国人エンターテイナー大幅削減」の動きとして報道されるような事態になったのであろうか。ここにおける「外国人エンターテイナー」とは、当然フィリピン人エンターテイナーを対象としているのである。

まず、この「人身取引対策行動計画」において日本政府が進めようとする総合的・包括的な人身取引対策[72]の骨子は以下のとおりである。
①人身取引議定書の締結
②人身取引を防止するための諸対策の推進
③人身取引を撲滅するための対策の推進
④人身取引被害者の保護

以上4つの骨子の中でも、とくに②がフィリピン人エンターテイナーの入国に際して直接的な影響を与えるものである。

人身取引を防止するための諸対策として、政府は「空海港における厳格な上陸審査の実施」「旅行関係文書のセキュリティ確保」「偽装結婚対策」「不法就労防止の取組み」「売買春防止対策の推進」とともに、「「興行」在留資格・査証の見直し」を挙げている[73]。具体的には、法務省の「出入国管理及び難民認定法第7条第1項第2号の基準を定める省令」(以下「法務省令」という)の改正である。外国人が日本政府に興行ビザを申請する際の発給要件は、改正前の「法務省令」の中では以下のように規定されていた。(太字、下線は筆者による。)

一 申請人が演劇、演芸、歌謡、舞踊又は演奏の興行に係る活動に従事しようとする場合は(中略)、次のいずれにも該当していること。
 イ 申請人が従事しようとする活動について次のいずれかに該当していること。(中略)
(1)外国の国若しくは地方公共団体又はこれらに準ずる公私の機関が認定した資格を有すること。
(2)外国の教育機関において当該活動に係る科目を2年以上の期間専攻したこと。
(3)2年以上の外国における経験を有すること。
 ロ(略)ハ(略)
 ニ 申請人が月額20万円以上の報酬を受けること

 ところがこのたび、法務省は一のイの(1)の条項を削除した。「外国の国若しくは地方公共団体又はこれらに準ずる公私の機関が認定した資格」とは、すなわちフィリピン人エンターテイナーにとっては芸能人資格証明書「AAC」を意味する。従来日本に入国しようとするフィリピン人エンターテイナーたちは全員「AAC」を保持し、それがこの法務省令の(1)の条項を満たすことで、多くの者が興行ビザを取得してきた。しかし今回の法務省令改正にあたり、日本政府はこの芸能人資格証明書をすべて認めない方針を発表した。

政府は「人身取引対策行動計画」の中で、「興行」の在留資格見直しの背景を以下のように説明している。

在留資格「興行」で入国してきた者、特にフィリピン政府が発行する芸能人証明書の所持により上陸許可基準を満たすとして入国したフィリピン人に芸能人としての能力がなく人身取引の被害者となる者が多くいると認められることから(以下略)[74]

つまり、政府はここでフィリピン政府による芸能人資格認定の甘さを指摘し、それがもとで起こるフィリピン人エンターテイナーの人身取引被害防止のために「興行」の在留資格を見直すとしたのである。

2004年9月、フィリピン人エンターテイナーの養成及び資格認定過程の実態を把握するため、政府はフィリピンに人身売買調査団を派遣し、関連機関やNGOを調査した。同調査団の1人は、マニラで行われた記者会見の中で以下のように話した。

日本には年間8万人のフィリピン人芸能人が入国しているが、常識的に考えて8万人は多すぎる。カラオケで歌える程度の人も『芸能人』として入国しているのが現状で、『芸能人』の基準に日比政府間でズレがあるのではないか[75]。

法務省は同時に、エンターテイナーの入国審査基準の厳格化方針ももっているが、上記一のイの(2)に定める「外国の教育機関」にフィリピンのタレントプロモーションが認められることはないであろうし、同一のイの(3)に定める「2年以上の外国における経験」についても、当然ながらマニラの“ストリップ・バー”での就労が、その「経験」として認められることもありえないのである。

日本は現在、日系外国人や在日朝鮮人等の一部例外を除き、外国人の単純労働を一切認めておらず、エンターテイナーという名目で入国はするものの、実質的にホステスとして就労するフィリピン人女性に対しては、人身取引に巻き込まれる危険性もあり、その危険性を減らすためにあくまで厳しく対応しようというのが法務省入国管理局をはじめとした日本政府の立場である[76]。

こうした背景があり、この日本政府の「人身取引対策行動計画」が、「8万人のフィリピン人エンターテイナーが8千人に減少する」という一部新聞紙上の報道[77]につながったのである。

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1999.10/05 (Tue)

3-2

3-2「人身取引対策行動計画」をめぐるそれぞれの思惑

この「人身取引対策行動計画」は、上述のとおり人身取引の防止・撲滅と被害者の保護を目的に策定されたものである。しかし、結果としてフィリピン人エンターテイナーの多くの入国を拒否することになり、マンパワーを海外に送り出したいフィリピン政府や、エンターテイナーに関わる業界の思惑に相反するものとなる。そこでこの問題に対するそれぞれの当事者の思惑について、資料や聞き取りをもとに得たものについて整理しておく。

フィリピン政府[78]

 前述のとおり、フィリピン政府にとって外国への出稼ぎ労働者派遣は、国策として奨励しているもので、このエンターテイナーもフィリピンの重要な“輸出品”の一つである。日本で働くフィリピン人エンターテイナーの本国への送金額は年間およそ10億ドルに達すると言われており[79]、日本の「人身取引対策行動計画」で、フィリピン人エンターテイナーの入国が大きく制限されることにより、この多額の送金源が絶たれてしまうだけではなく、フィリピン国内失業率がさらに悪化することも懸念されている。POEAの担当者は、主に次の二点を強く主張する。
・フィリピンとしては、正しく養成された、資格のあるエンターテイナーについては、自信を持って送り出している。わが国が送り出すエンターテイナーに、売春婦はいない。
・不法就労を取り締まる責任は日本の行政にあり、問題があるならばエンターテイナー全体としてとらえるのではなく、個々の案件として検挙して強制退去させる等の処理をすべきである[80]。

つまりPOEAは、当然ながら正真正銘のエンターテイナーを送り出していると主張し、不法就労横行の責任はエンターテイナー個人や日本の行政側にあると指摘する。

 また、この制度で影響を受けるのはエンターテイナー及びそれに関わる人や組織だけではない。フィリピン政府は、在日フィリピン大使館を通して日本のプロダクションから多額の手数料や預託金を集めている。同大使館は日本のプロダクションに対して登録制を取っており、登録には$20,000の預託金を納めなければならないとしている。また、そのプロダクションがエンターテイナーを日本に招聘する際には、「認証費用」などの名目で1人あたり7,350円の手数料を同大使館に納めることとされている。これは1991年、外交問題にまで発展したフィリピン人エンターテイナーMaricris Siosonの死をきっかけとして、業者の峻別やエンターテイナーの保護を目的にフィリピン政府が新たに作った制度であるが、国際法に認められていない「海外での公権力の行使」に抵触する可能性もある。

この制度により預託金を納めて登録したプロダクションは800社に上り、2003年の来日フィリピン人エンターテイナーの数を8万人として単純計算すると、手数料収入だけで最低6億円に近い額を同大使館が得ていたことになるのである。

 フィリピン領事館が日本国内で多数の手数料を集める一方で、2004年12月下旬にはフィリピンから政府の外交団が来日し、日本政府に対して、5年間の新制度施行猶予やフィリピン人エンターテイナーに対する最低年5万件の興行ビザ発給の保証等を要請した。また、これらの要請が受け入れられない場合は、法務省令の興行ビザ発給要件にある「2年以上の外国における興行歴」に日本での就労経験を加えることを求めた。しかし日本政府はいずれの要請についてもそれを拒否している。

 そこには、海外出稼ぎ奨励というフィリピンの外貨獲得システムの根幹を揺るがす急激な制度改正に対する同政府の警戒感が透けて見える。

フィリピン国内世論(この項は主として『マニラ新聞』の記事を参考にした)

 現在フィリピン国内には、芸能人資格証を保持し、日本行きを待つエンターテイナーが30万人いると言われている。彼女たちが所属するプロモーションの関係者をはじめとして、服飾関係者、旅行関係者等、この産業に関わる人の数は枚挙にいとまがない。日本の新制度は、“人権を保護”するという反面、これらの人々には死活問題である。

 2004年12月、日本政府が「人身取引対策行動計画」を発表して以降、フィリピン国内ではマニラを中心にデモや抗議集会が相次いだ。主催者は主として国内の芸能人派遣団体であるが、同年12月17日に行われた日本大使館前での抗議集会には4,000人のエンターテイナーも参加した。デモに参加したエンターテイナーたちは以下のように訴えた。

「半年間で30万ペソの給料をもらった。フィリピンでは1ヶ月1万ペソも稼げない。また日本で働きたい」「200時間近く歌のレッスンを受けてきたのに、一度も日本へ行けないなんて。是非日本で働いて家族のために土地と家を買いたい」[81]

また、国内芸能人派遣業者の団体CALEA(エンターテイメント・エージェンシー協会連合、会員約500社)のロレンソ・ランゴメス副代表は、『マニラ新聞』の取材に対し次のように語っている。

「日本政府の援助でインフラ整備をしてもフィリピン国民の多くはその恩恵を実感できない。対照的に、日本で働く芸能人からの送金は社会の底辺まで直接届く政府開発援助(ODA)のようなものだ」「売春などの違法行為に関与しているのは偽装結婚などを扱う違法業者で、これらを摘発するのが先決であろう。日本への芸能人派遣は20年を超える歴史の中でさまざまな規制や規則が整備されており、正規の派遣業者は合法的な方法でやっている」[82]

同氏はさらに、同伴や接客行為の禁止徹底、違法滞在の防止など、「業界自浄策」を徹底する必要性についても強調した。

 以上、フィリピン国内世論については、概して「日本政府の急激な制度改正は殺生だ」といった感情論が多い。

日本国内世論[83]

 国内の外国人エンターテイナー招聘業者の団体である全芸連(全国外国人芸能人事業者連絡協議会)は、政府の外国人エンターテイナー入国審査厳格化の方針に強く反対する。フィリピン人エンターテイナーの事情に詳しい同会の担当者は、次のように語っている。

歌手やダンサーがステージでショーを行えば、その前後に客と話をしたり接待行為を行うのはいたって普通のことであり、そもそも外国人エンターテイナーに一切の単純労働を認めない日本の現行法には無理がある。接待行為も含めて外国人エンターテイナーに対する労働市場を開放すべきである。フィリピン人エンターテイナーの待遇が、規定や契約を大きく逸脱しているとすれば、それは日本側ではなくフィリピン側プロモーションのキックバックが大きいからである。また仮にこれが違法だとしても、これまでこの問題を半ば放置してきた入国管理局等行政側の責任も重大である[84]。

 2004年12月から2005年1月にかけて、法務省はこのたびの同省令改正に関してパブリック・コメントを行った[85]。その結果、全回答数2,128件のうち、賛成は65件、反対は1,924件、その他が139件であった。それを見ると反対意見の多くは業界からのものであろうが、その中には「フィリピン人芸能人は真面目に働いている。彼(女)らの仕事を奪うべきではない」「フィリピンパブは日本の文化である。庶民の楽しみを無くすべきではない」といったものが多かった。

「外国(フィリピン)政府が発行する芸能人証明書を有する外国(フィリピン)人は真の芸能人であり、風俗営業店等においてホステス等として不法就労しているようなことはない」といった反対意見は少数で、むしろ反対意見の中にも、一部とはいいながらも芸能人証明書の偽造や不正発行が行われている事実を述べているものもあるほか、接客行為や「同伴」「指名」等の誘客手段が行われている事実を認めるものが多数含まれていた。

ただ、今回の同省令改正が招聘業者に与える影響を懸念して、「人身取引を行うような悪質な業者は一部であり、そのような業者を取り締まればよいのではないか」「本件省令改正が実施されると、日本国内の招聘業者や出演店の経営に大きな影響が出て、経営者や従業員の生活が危ぶまれる」といった意見も多くあった。


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